植木等が逝ってしまった。
平均(タイラヒトシ)が、源等(ミナモトヒトシ)が、日本等(ヒノモトヒトシ)がいなくなってしまった。
これらはみな、映画の中での彼の役名である。見れば見るほど安易で、分かりやすく、そして時代の世相を表している名前だ。
平均(タイラヒトシ)が、源等(ミナモトヒトシ)が、日本等(ヒノモトヒトシ)がいなくなってしまった。
これらはみな、映画の中での彼の役名である。見れば見るほど安易で、分かりやすく、そして時代の世相を表している名前だ。
私のハンドルであり、ペンネームでもある平●均(タイラヒトシ)は、言うまでもなく映画『ニッポン無責任時代』のヒーロー、植木等演ずるところの平均からいただいている。もう20年も使っている愛着のある名前だ。
私は、クレージーキャッツをもちろん子供の頃から知っていたし、植木等も好きなタレントの一人ではあった。しかし、本当の意味での出会いを果たすのは10代後半、専門学校時代の友人からオールナイト映画に誘われて浅草東宝に行った時なのである。
10代後半、高校を卒業し、将来の進路も決めひたすらがむしゃらに前に進んでいた頃、それでもまだ完全には確立していない自分の『生き方』というものを見つけたのがこの映画だったのだ。
そんなこと言うと、さも高尚な、模範的生き方の教材のような作品と誤解されるといけないのであえて最初に言ってしまうが、本っ当にすがすがしいほどに馬鹿馬鹿しい作品であり、とてもじゃないけど真似のできる生き方などではない。
誰もがちまちまとせせこましく努力していた時代に、高笑いとともに颯爽と現れて知恵と要領でスイスイ進んで行く主人公。歌って踊ってゴマすって、まわりが唖然としている間にちゃっかりと地位を確保し最後に「コツコツやるやつぁご苦労さん!」
半端ではない徹底的な無責任ぶり、それまでの日本人好みのウェットな人情喜劇の要素などかけらも持ち合わせない、それどころかそんな古臭い因習までをも利用してしまう図太さ。でもまったく嫌味がなくあっけらかんとしているのだ。
観ているこちらも唖然となってしまうくらいのテンポでストーリーが進行し、たたみかけるように歌い踊り、こちらに考えるスキさえ与えてくれない。もうここまでくると腹も立たない。あまりにもすがすがしくて喝采をおくらずにはいられないのだ。
古沢憲吾監督の斬新なカメラワークや作風なんてのも語りはじめたらキリがないので割愛するが、やはりこの映画の成功は、平均を演じた植木等のキャラクターあってこそなのだ。
彼の本当の生真面目な性格と演ずるキャラクターとのギャップについて…などというエピソードは、もうあらゆるところで語られて来たことだし今あらためて言うこともないのだけど、やっぱり反骨精神や礼節を重んじる思想を根底に持った植木等という人間があの無責任キャラクターを演じた、というところが私の心にグッと来たことは間違いない。そして、『笑い』のもたらす効果が人生においてどれほど絶大であるかも教わったし、過ぎたことは悔やまない、どんなに内面では苦悩していても前向きに笑い飛ばして生きるということを教わったのもここからなのだ。
『表面に見えていることと、根付いているものは必ずしも同じではない、あからさまに表に出さないけれど、にじみ出る本質が垣間見える瞬間がたまらなくカッコいい』
これが私の美学であるが、これも植木等に出会って、すべてのピントが合った瞬間のように、私の中に根付いたものなのである。
もう18年くらい前になると思うけれども、編集の仕事をしている時、あるドラマの制作発表に取材に行く機会を得て、植木氏本人にお会いしたことがある。ほんのひとことふたことしか話せなかったのだけれど、握手した時のぬくもりと共に、私にとって忘れられない思い出である。
植木等は私の永遠の恋人。今までも、これからもずっと。
冥福を、心からお祈りいたします。
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